フェチDVD監督になって15年になります。いろんなことや様々な女優さんが私の下半身を跨いできました。
なかでも思い出に残る出来事がいくつかあります。
そんな私の体験記を告白したいと思います。
監督を始めて7~8年目で素人の足フェチの撮影をしようと思いました。
普通のセックスには飽き足りず、私はより極私的なフェチDVDの制作・監督・男優、さらには女優さんの手配から店舗への出荷まで一人で行っております。
長いようで短かった15年という歳月のなかでも出会い系サイトミントC!Jメールで知り合った久美子のことは忘れられません。
久美子は摂食障害のあるメンヘラアラフォー女性で、地方銀行の頭取の一人娘。
カネに困ることはなかったが、精神的充足感に飢えた女でした。
入退院を繰り返していたそうです。
監督の役得とでも言えますか、女優さんの中には監督に対して全面的に身も心も捧げてくれるタイプと、犬鬼畜みたいに思っているつっけんどなタイプと大きく分けてふたつあります。
久美子は前者の典型的タイプでした。言葉を換えれば依存体質な女でした。
彼女とは出会い系サイトミントC!Jメールで知り合い、一日ふつ日のやり取りで実際に出会うこととなりました。
身長がやや高く、ぱっと見やせ細った篠原紀香さんを彷彿とさせました。
声もか細く神経質的な目元にはどこか狂気が笑っているかのようでした。
「脚コキフェチDVDだけどやってみる?」
「ええ。がんばります」
私たち二人は久留米市内のラブホテルに姿をくらませ、撮影に取り掛かりました。
仕事柄、いつどんな場合にでも撮影ができるように私は普段からデジタルビデオカメラと三脚を持ち歩いておりました。
その日もおなじですぐに撮影に入りました。
ギャラは取り決めた通り二万円。
特に時間制限は必要ないと彼女は言っておりました。
ぽっちゃりよりもスレンダーなタイプな女性が私のタイプです。
久美子はそれにしても痩せすぎでしたが、私の守備範囲ではありました。
まずは正攻法でインタヴュー場面からの撮影です。
そこで彼女が地方銀行の頭取の一人娘であることを知りました。
お金に困ってAV出演しているわけではないということをアピールしたいみたいな印象を残しておりました。
そして摂食障害の病気自慢の話を延々と語っておりました。
彼女が何を求めているのか、なんとなく判るようになりました。
いざ脚コキシーンの撮影に入ります。
腕もさながら足も恐ろしいまでに細いのに驚愕しました。
正直言ってげんなりと来ましたがこちらもプロです。
顔はタイプだったので久美子の顔だけを見ながらサービスを堪能しました。
久美子自身脚コキは初体験で時折り戸惑いがちでしたが、ナイロンのストッキングのたまらない感触と足裏の生暖かさで、やがて私は昇天しました。
その日は撮影を済まして互いに別れました。
それから三日後に彼女から携帯にメールがあり、これから会いたいという趣旨の文言が並んでおりました。
私は折り返し電話をすると久美子はすぐに電話に出てまた新宿で逢うことになりました。
久美子はまた別の撮影に協力したいと申し出てきた。
協力という言葉が私の胸には引っ掛かりました。
まるで私への献身というよりもむしろ恩着せのような響きを感じてやみませんでした。
私は例によりカメラと三脚は持参していたので、またホテルにしけ込みました。
脚フェチは先日撮影したので今回は足裏フェチの撮影としました。
そして撮影終了後、彼女に求められセックスをする流れとなりました。
体験人数は自己申告ですが四人といささか少ない感じでしたが、感度は上々でした。
貧乳で乳首だけが突起していて尾てい骨がむき出しになっていました。
私は最初で最後のつもりで挑みましたが、この一夜のセックスがのちのち面倒くさいこととなりました。
その後も二日とあけずに携帯に彼女からの連絡が入りました。
過食嘔吐の病もあるようで、その病状をしつこいくらいに聞かされました。
彼女は私に同情を求めているのか、それとも肉体を求めているのか理解不能になりました。
私が久美子からの連絡を無視し一年ほどが経ちます。
住所を知らせていなかったのが幸いして、家に訪れてくるようなことは回避できましたが、メールはひっきりなしに文字列が並んでありました。
そして、久美子がこの一年間、暗い閉鎖病棟に幽閉されていたことを知らされました。
私は久美子の執念深さが気になり、DVDのリリースは延期しておりました。
そして結局お蔵入りにすることと決めました。
久美子との思い出をすべてディレートするかの如くマスターファイルも消去し、彼女と決別しました。
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